殺し屋1 感想文

殺し屋1を読んだ。初めて読んだのは高校生の頃で、作品の異様な雰囲気、過度なグロさ、刺激に衝撃的な印象を受けたのを覚えている。東京に住んでいたけど都心に遊びに行くようなタイプではなかったので、歌舞伎町ってこんな人たちがいるのか…?とびびった記憶。登場人物たちの行動原理、価値観は社会から大きく逸脱していて、一般人としてはなかなか理解し難いものがあった。そういう意味で俺は傍観者であり、結果としてのグロさといった刺激だけを楽しんできたけど、狂った登場人物たちのことを自分なりに理解したいなーと常々思ってきた。そこで、俺も大人になったことだし久しぶりに読み返してみよう、という気になった。

結論から言うと、やはり俺には咀嚼し切れなかった。そもそも異常者の行動をみて腑に落ちてしまったら俺はヤバい人間になってしまうわけだ。だから、あくまで他人として「こういう風に考え、生きている人もいるんだな〜」と脳内でフォルダ分けをできたらいいなと思う。坂田でジジイがちょこちょこ解説というか説明もしてくれていることだし、それを思い出しながら書きつつ考えていこうかな。

 

①イチ

ジジイにコントロールされてるただの道具、と言える。ただ、誰でもああはなれない。自分の世界に完璧に入れたら最強になる、というのは俺にも理解できなくもない。人間は社会的な動物やわけで、どんなに凶悪な犯罪者であっても意識的にせよ無意識的にせよ規範や倫理からストッパーが自動で作動するものだと思う。そこから完璧に脱することができるのがイチの強みというか異常性であった。よく考えたらそれはちょっと羨ましいな。俺は仕事やらなんやらで周りに過度に気を遣いすぎて自分の能力を発揮できていないなと感じることが多いから。まあちょっと今回のとは違う話な気もするけど。一回、タガを外す、ということを突き詰めて考える必要はあるなーと思った。

 

②垣原

死を恐れないドM。余りにも巨大なドM的な性欲を持ち、この世界ではそれを完全に満たすことはできないと考えていた。そしてそのことに絶望していた。自分を満たしてくれるもの、自分の期待を超えてくれるものなどこの世にはない、と。希望がないから絶望がなく、生への執着がないからさが怖くない。それが彼の強さだった。だから、最後はハッピーエンドだったんだと理解してる。よかったよかった。

この話でいくと、俺の過度なビビリはなんなんだろう。希望が大きすぎて絶望が大きい?いや、それは少し違う気がする。垣原は賢い人間なんだろうな。自分のことを客観的によく見れているからこそああなるんだろう。俺は客観的に見れていないからこそ、ビビリすぎているのだろうな。自分にとって何が必要なのか、自分には何ができるのか。ああ、何を考えてもここに行き着いてしまう。しかし、ここから逃げていてはダメだ。行動に移さなければ。垣原、ありがとう。尊敬するよ。

 

③ジジイ

自分の欲しいものを理解して、行動して満たしている。賢く、能力の高い人物だと思う。しかし幼稚な印象を受ける。なんなんだろう。羨ましくはない。でも、本当にやりたいことを自由きままにやってるんだろうなと思ってる。その点だけは羨ましいな。

 

全てを自分の話に繋げてしまう。それは俺が人生に迷いがあるからだろう。今はそれでいいが、行動で変えていきたい。

 

殺し屋1を読んでこの結論に至るとはな。