身体性を大事にしていった方いい気がする

何をしたら1番自分が喜ぶかを理解していないって、生きてる意味がないよね?俺は今、そこに苦しんでいる。

自分が何をしたいのかがわからない。ちょっと楽しいな〜好きだな〜ということは数あれど、圧倒的に打ち込みたい!!ということが何一つない。別にそんなのなくても楽しく生きてるよ〜といった人がいるのは知ってる、というか世の中の大半の人はそうなんじゃないかなと思っている。しかし俺は違う。ここだけは確信している。俺にとって必然的な「何か」が欠けたままでは人生を全うできない。そう、強く感じている。ビジネスでも、音楽でも、詩を書くことでも、スポーツでも、セックスすることでも、旅でも、クスリでも、何でもいい。何でもいいから、それが自分にとって必然的な、疑いようがないぐらい当たり前にやるべきこととして実感できるような「何か」が欲しい。それさえ手にすることができれば、例え金がなくても、楽しくやっていけるんだろうなぁ。

f:id:kennekomint:20180117072323j:image初日の出を嵐山に見に行った

ここでタイトルに戻るけど、日々の生活の中で「身体性」を大事にすることがヒントなんじゃないかなと思っている。こうするべき、こうあるべき、といった社会的な必然というものは無視して、俺は体感的にこうしたい!という身体的な必然を大切にしていくべきなんじゃないか、という話。法律で決まってるから信号を守るのではなく、身の危険を感じるという理由で信号を守れ。にゃんこスターやマジカルラブリーがそこまで特別に面白いと思えなかったのなら、無理して好きなところを探そうとするな。ブスだとしても、好きになってしまったのなら全力で愛せ。そういうところから始まっていくんじゃないかと思うんだよね。