理想と現実のギャップが辛い 生理つらたん

以下の文章は、発散することで楽になってくれ頼む、という気持ちで書くので誰も読まないでください。

 

「自分は特別な人間だ」と思っている。25年間、特別何かを成し遂げたことがあるわけでもないし誰かに才能を認められたことがあるわけではない。明確な根拠はない。それでも、俺は特別な存在なんだ。そこらへんの奴らとは違うんだ、と思ってる。現在進行形で。

心の底では気づいている。俺は自分のことを「特別な人間だ」などとは思ってはいないことを。もし俺が本当に自分の才能を確信しているなら、ルサンチマンになる必要はないはずだから。

つまりこうだ。俺は「自分は特別な人間だ」と自己暗示をかけることで自分の存在を肯定しているのだ。才能を信じることが、生きることの前提になっているのだ。ほんと、俺はただの馬鹿だ。クラスの成功者たちを心の中で見下してきたツケが見事に回ってきてしまった。「俺はこいつらとは違う」とただただ「思う」だけで、やり過ごしてきたツケが。なんの「行動」もしてこなかったおかげで何の蓄積もない俺は、無だ。何も持っていない、ゴミだ。

臭いものには蓋をして、見たくないものからは目をつぶって、とにかく「自分は凄い」ということをひたすら盲信してきた。それだけを心の支えにすることで、なんやかんや今までは生きこれた。

しかし最近、流石に無理が生じて来た。年齢を重ねるごとに、俺には何の秀でた才能もないということが否定しづらくなってきてしまったのである。25歳と言ったら、もう結果が出ていなければならない年齢だ。もう村上龍芥川賞を取ってるし、カートコバーンはレディングフェスティバルでトリを飾っているような年頃だ。ロックスターはあと2年でだいたい死なないといけないしね。

 

(あー、なんか書いてたら気分が楽になってきた。何も整理できてないし何の結論も出ていないのに。マジで俺はアホやな。あとブログって最高ですわ)

 

そんなこんなで理想と現実のギャップを急激に実感し始めて、日に日に精神がやられてきている。激暇なのがそれに拍車を掛けてきている。なまじ時間があるため、余計なことをぐちゃぐちゃ考えてしまうから。本当はこういう気持ちを作品に昇華すれば一石二鳥なんだろうけど、それすらもできない。なぜなら、自分の実力が明るみに出るのが怖いため創作活動ができないのである。これは本当に積んでいる。創作を重ねないと絶対に向上しないのに、そもそも創作ができないのである。糞が。ごちゃごちゃ抜かしてないで手を動かせ身体を動かせ死ねよマジで。

最初は音楽をバリバリやって行く予定だったけど、半端に知識があり耳が肥えているのも手伝って自分への理想が高すぎる&現状のしょぼさがわかりすぎるので音楽を真正面から取り組むのは難しいと判断した。

そこで俺が取った解決策は、詩を書くことだ。ざっくり言うと、詩を極める→音楽をやるというステップを踏むことが狙いだ。俺の喫緊の課題はとにかくなんでもいいから「積み重ねること」だ。詩はそういう意味で抜群に適していた。極論、言葉を並べるだけでできる他に比べてしハードルが低い。そして俺自身まったく詳しくないので変に心の中のハードルも高くないから取り組みやすいというのも1つの理由だ。またなにより、絵などとは違って詩は音楽に繋げやすい。つまり、まずは詩で自信と実力をつけてから音楽の領域に踏み込んで行くという段取りだ。くそ回りくどいな、馬鹿かこいつは。しかし、仕方がない。とにかく回りくどくても前進していることそれ自体が俺には大事なのだから。糞みたいな言葉だけど、毎日1歩でも進めば1年で365m進めるわけだ。それが大事なんだと本気で思ってる。

そう思ったのが12月だった。詩を書き始めてから1ヶ月経った。今のところ続けられている。一歩は踏み出せたと思ってる。これは偉大な一歩だと思っている。本当に俺は偉い。さすがはかつて地元で神童と呼ばれた男だ。そこらの野球部の糞ハゲ共とは持っているものがちがう。こういう人物のことを人は天才、と呼ぶのだろうな。これからも頑張れよ。俺は俺のことを応援してるぞ