アメリカン・サイコ 感想文

倫理とかは一旦、横に置いておいてくれ。

 

セックス、ドラッグ、殺人といった逸脱を日常的に繰り返す主人公。短絡的な快楽は一時的には心も身体も満たしてくれるけど、一晩寝て起きたらまたお腹が空いてしまうものです。結局、その場しのぎにしかならないんだよね。折原イザヤも言ってたけど、非日常はすぐ日常に変わってしまう。この映画はその問題に対して答えは出してくれない。

 

主人公は自分のことを感情がない人間だと言うけど、俺にはごく平凡な人間に見えた。あれだけの無茶をしても、結局クソみたいな社会から逃れることはできていない。俺たちは社会から逃れることはできないわけだ。ラスト、主人公は同僚を殺したのかどうかが曖昧になる。最後にわざわざ、そこをボカした意味は、それが重要な話ではないというメッセージだと俺は受け取った。いやいや、そういう話をしたいんじゃないんだよ、と言ってるんだと理解した。

とにかく社会ってのはクソだ。しかし、ちっぽけな俺たちは何をどうやってもそこから逃れることはできない。お前の、その衝動を、ふと瞬間に胃の周りから心臓にかけて発生する正体不明の生理現象を、オナニーで消費してはダメで、もしかしたら科学的な努力の積み重ねでしか「正しく」発散することはできないのではないか。かなりつまらないどうしようもない結論だけど、ある目標に向かってひたむきにやっていくしか、道はないのではないか。そんなことを考えた。ああ人生よ。わはははは。

武器としての「資本論」 感想文

読書感想文と言う名の自分語りです。

いきます。

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マルクスはすごい!という情報だけが頭にあった。何がすごいのかはよくわからないが、とにかくすごいらしい。若いときにやっておくべきリストみたいなやつに入ってそうなタイプのやつ。俺はそういうのに弱いから、まあ遅くとも20代のうちには読んでおかなければなと思っていた。しかし資本論とかいう本はやたらと分厚くさらに難しいらしい。俺は基本的に勉強は苦手で難しい文章が読めない。だから前知識なくても読めるような入門書はないかな〜と思ってた。そんな拍子に、手頃そうなこの本をみつけた。そんなかんじで読み始めたら一晩で読み切ってしまった。なかなか面白かったよ。

俺は就活をしていたころ、Newspicsとかその辺の意識高い系言説に完全に染まっていた。ネオリベ的な価値観を素朴に受け入れていた。とにかく何事も効率的にやっていけばええや!!!と物事全般を考えていた。最大合理的に物事を考える、というのはとても単純でわかりやすく気持ちが良かった。スカッとジャパン的な気持ち良さがあった。つまりカスということだ。とはいっても当時の俺にはありがたい価値観だった。なによりも、俺を否定する父親を論破してくれるのが気持ち良かった。父親は、俺が中学生の時から日常的に東大京早慶に入って大企業にいけ。と繰り返し言ってきた。父親は銀行員だった。少なくとも当時は銀行で出世するには学歴が大事だったらしく、MARCH卒だった父親は自分よりも仕事ができない同僚が先に出世していくのが許せなかったらしい。俺が子供の頃、父親の記憶があんまりないぐらい仕事に打ち込んでいらっしゃったぐらいだから、余計に嫌だったんだろうね。しかしそんな父親の意向に反して俺は勉強ができなかった。一浪の末に駅弁大学に入った。でも幸い、大学の卒業生就職先一覧を見る限り、大企業に入ること自体は少し頑張れば十分可能といったかんじだった。親の敷いてくれたレールからギリギリ脱線はしていない、と感じていた。そんなことを考えるぐらい、俺は何も自分で物事を決めることができない人間だった。自分が何をしたいのか、何ができるのか、そういったことを研いで来なかった。それは今でもそうだ。大学時代に村上龍を読んで受けた衝撃を思い返す。

 

「自分が最も欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることが絶対できない」

 

ウギャーって思ったね。チキショー。マジ最悪…てめえブチ殺してやる!!!!!!!!!!!!!と思ったよ。まじで。

いやー焦った、焦った。このままではやばい。とにかく何かをどうにかしないといけない。あの細長い汚い部屋で一人、頭の中がグシャグシャになって、でもどこかスッキリした感覚があって、たしかに社会に輪郭が浮かび上がってきたはずなのに説明することができない、矛盾した、忘れられないけど思い出せないあの感覚。

あれを取り戻して、今度こそ完成させたい。この本を読んで、改めてそう思った。そう考えると良書だった。内田樹さん、ご紹介いただきましてありがとうございました。

もう少し具体的な話をしよう。

俺はこの本を読む前から、ネオリベ的な価値観を相対的に捉えられているつもりだった。が、やりきれていなかったのだと気付かされた。金では計れない人間の基礎的な価値、というものを認められない。どうしても認められない自分。そこを明確に認識できたのは大きかった。年収600万、それ以外に自分が同世代の周囲に対して優れていることを示す術を俺は持たない。だから大っ嫌いなクソダサい仕事に、会社にすがるしかない。そんな自分が嫌いだ。

ネオリベさんは唯一俺を肯定してくれた。俺を否定する父親を論破する力を与えてくれた。だから手放せないんだろうな。

 

マルクス「…力が…欲しいか?」

俺「欲しい」

 

-完-

マジでどうすんだよおい

いや、プログラミングなんかしなくていいだろ。そもそも、そこまで興味ないし…

俺の知る限り、そこそこ稼げる仕事の中では比較的マシそうではあるけどさ。どちらかというと俺の性格にも合っていそうではあるけどさ。少なくとも今の仕事を10年20年続けていく自信はないし、絶対にそうなりたくない。理由は、つまらない人間になってしまうのが見えているから。その理由は、同僚や上司にまったく魅力を感じられないから(良い人たちなんだけどね)。刺激と興奮以外はあるけど、刺激と興奮がない。いや、そんなものは仕事には必要ないんだよと脳内のフランス人は言うが、会社員を続けると言うことは人生の6割から7割の時間を注ぐということで、俺は割り切れないよ。火花なんて存在しようがない生活は嫌だよ。ドラマ「火花」が面白すぎる。面白いというか、感情移入し過ぎて見るのが辛い。不安になりながら笑いながら泣ける。最高だよ。ほんまにもう。

 

チクショーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!

プログラミングや!!!!!!!

働き始めてから一年半が経った。会社員は想像していたよりもずっと忙しくて、平日も休日も仕事のことで頭がいっぱいだった。元町のトアロードにある古着屋で散財しているときも、センタープール前にあるスーパー銭湯でサウナに入っているときも、来週のお客さんとの打ち合わせの準備がまだ終わっていないことや、導入の担当をしているシステムの仕様がよく理解できてきないのにも関わらず設計を急がないといけないこと、延々と繰り返す月曜日を忘れることができず、自分には社会人として必要な能力が決定的に欠けているのではないか、いや今の仕事が合っていないだけで「天職」がどこかにあるのではないか、だったらそれはなんなんだ、どうすれば見つけられるのか…いつもいつも憂鬱で不安で、どうしようもない気持ちを抱えながら過ごしてきた。

そして今、在宅勤務が始まってから3週間が経とうとしている。いままでの苦悩が本当に嘘みたいに、すっかり気の抜けた生活を送っている。はっきり言ってしまうと、俺は仕事をサボっている。もう、サボりまくっている。ちょっとでもダルかったら二度寝するし、仮にスッキリ目覚めたとしても社用スマホで打刻をした後はNetflixを起動する。Slackだけは細かく確認するようにしているけど、基本的にはソファで寝転んでいる。昼になったらスーパーに行き、食材を買い込む。Instagramでフォローしている東大院卒のスパイスカレー専門家?のインドカリー子さんのレシピを参考に、昼ごはんを作る。猫に安いペットフードを食べさせる。コーヒーを飲んでから少し昼寝をする。WebMTGがあるから、髪の毛を軽く整える。なるべく忙しく働いてる雰囲気を出すことに努めた後は、キッチンでタバコを3本吸う。嫁が帰ってきたら一緒にテレビを見る。20時を過ぎた頃に、退勤の打刻を打つ。そしてビールを飲みながら晩御飯を食べ、しばらくスマホを弄りながら寝転んでたらそのまま寝てしまう。こんなことを繰り返している。俺は放っておくと何もせずにずっとダラダラしてしまう人間なんだけど、暇を過ごすことが物凄く下手くそなため、毎日寝ているとすぐに頭がおかしくなってしまう。かといって、特に打ち込めるものを持っていないため、ひたすら時間を誤魔化すためにアニメを見たりTwitterをみたりしている。仕事が忙しくても気が狂いそうになるし、暇になっても気が狂いそうになる。そんな、どうしようもない普通の人間であることが、更に自己嫌悪を拍車をかける。

いやいや、こんなことを言っていても仕方がない。もう十分に休んだのだから体力は有り余っている。とにかく何か、行動を起こさなければ。具体的な成果物を積み重ねて行かない限り、仕事も生活も、今よりも良くなるはずがない。せっかく時間ができたのだから何か有意義に過ごそう。さて、何をしようか。

①とにかく仕事を頑張る

②音楽を再び始める

③プログラミングの勉強をする

④今のままできる限りダラダラ過ごす

⑤社会思想や哲学などの勉強をする

ざっと思いついたのはこんなもんだ。別にこれらのうちの1つに絞る必要はないし、全部やったらいいのではと思う。しかし、一点に突き抜けた人間になりたい。その憧れが未だに捨てられない俺としては、どれか1つに絞りたい…

 

 

 

 

 

プログラミングや!!!!!!!!!!

仕事について

限りのある人生の中で自分は今何をするべきなのかということにずっと悩み続けてきた。高学歴→大企業の安定した人生、起業して一発逆転を狙う野心的な人生、お金なんてなくても良くてやりたいことだけをのんびりやればいいんだ的な人生…いろいろな価値観に触れ、影響されて10代後半から20代中盤は完全に混乱していたなと振り返って思う。しかし、結婚を機に一旦はシンプルな考えに至った。「朝起きて会社に行って賃金を稼いで夜は寝る。平日はこれを淡々と繰り返す。そして休日はちょっぴり贅沢をする。この平均的な人生を守り続ける。」これを開始して一年が経ったが、いい意味でも悪い意味でも色々と思うところがある。置かれた場所で咲きなさい、という言葉を胸に生活をすることで、たしかに心に平穏は訪れた。小市民的な幸せな日々を送れていることに感謝はしている。ある程度の満足感もある。たしかに仕事は辛いが、全く耐えられない範囲ではない。やりがいもあるし給料もそこそこに高い。同僚や上司もいい人ばかりだし、仕事自体に将来性もある。だけど今のこの仕事を長く続けたいとはどうしても思えない。なんでだろうか。かといって、仕事をやめてまたバンドマンやらなんやらになりたいかと聞かれると全くそうは思わないし、全力で金を稼ぐために起業やらといった博打に出たいわけでもない。じゃあこの煮え切らない感覚はなんなんだ。くそが。

先に言っておくが、俺にはサラリーマンという身分が性に合っていると思っている。だからサラリーマンは続ける。これは確定。動かさない。しかし、繰り返される退屈な日々に耐えられる根性のようなもを俺は持っていない。これも事実。この2つは非常に相性が悪いため、普通に暮らしていては社会からはじき出されてしまうという危機感がある。だから戦略を持たないとやばい。

どんな仕事を選ぶかを検討する上でWhatでなくHowで考えてみるのはどうだろうか、といったことを意識の高い有名人が言っていたのを思い出す。そういう意味でいうと、今俺がやっているITコンサル的な仕事は後者の観点で選んだものだ。俺は業務システムへの興味関心はほぼ0に近いけど、プロセス自体には楽しさを感じられている。ぼんやりとした顧客の課題を整理し具体的に解決可能なタスクにまで落とし込み、実行する。上司からは目的だけを渡されて手段は自分で自由に考えて実行する。俺はマニュアル通りにすすめるみたいなことが苦手なので、この仕事のプロセス自体は性に合っている。でもさ、これをここから先10年続けて、「プロフェッショナル」になることになんの魅力も感じないんだよな…残念ながら。端的に言うと、仕事ができると言われている上司をみても、なんの憧れも持てない。尊敬の念が持てない。環境や人への感謝はしているが、ほんとにありがとうってだけでそれ以上は何もない。

結局な、Howじゃだめなんだと俺は思う。Whatで選ばないとだめだ。他の人は知らんが、俺はだめなんだ。少なくとも今は。だって、何者かになりたいもの。なんやかんや言って。30歳も手前に差し掛かってるけど、なりたいものはなりたい。バカでもなんでもいいけど、そこは誤魔化せない。いや、有名人になりたいわけではないし金持ちになりたいわけでもない。そこは今と変わらなくてもいい。でも、「あなたは何をしている人なんですか?」と聞かれたときにはっきり答えられない人生はもう嫌です。これです!!!!!!!!!を言いたい。

そんな私の最適解がこれ。「プログラミング」です。エンジニアという役割と立ち位置、求められる能力、身につけられる知識、そして市場からの需要…どれをとっても満点(パーフェクト)です。さて、ではこれからどうやってエンジニアへ華麗に転身するか、その計画の一端を以下に示していきましょう。

 

前提:Pythonをやります。コレ自体には深い意味はない。名前がかっこいいから選んだ。

目標:WEBサービスを年内に2つ作る。1つは小さいやつ、もう1つは大きいやつというイメージ

実行プラン:

11月4日までに独学プログラマーを完了させる。

11月23日までにpyQを完了させる。

12月15日までに小さいサービス完成させる。

1月5日までに大きいサービス完成させる。

 

以上です。

気づいたらサラリーマンとして生きることにわりと納得していた

最近は仕事が猛烈に忙しくて、帰宅したら飯食って風呂入って寝るだけという日々が続いていた。今日もいつも通り飯を食い終わったあとソファでゴロゴロしていたわけだけど、そういえば俺ってブログ書いてたな〜と思って久しぶりにはてなブログのアプリを開いてみた。そうしたら、出るわ出るわ恥ずかしい記事の数々…ひえ〜なんやこれほんまに嘘やろクソボケ。そこには、これがまさに黒歴史だ!!!というかんじの内容が並んでいた。そういや黒歴史って言葉最近あんまり文字で見かけない気がするな。(気のせいか?) それで俺はなんかもう、非常にグチャッとした気分になった。それでも脇汗を書きつつ一つ一つの記事をあえて丁寧に読み進めていくと、ああ、ブログを書いておいて本当に良かったな、と思った。思い出せてよかったよ。あの頃の楽しかったこと、苦しかったこと、後悔したこと、満足したこと。ああ、人って本当にあらゆることを忘れて生きているんだなと実感した。あの頃はあんなにも深刻に考え、悩み、文字通り死に物狂いで取り組んでいたことなのに、俺は信じられないくらいに、すっかり忘れてしまっていた。日々の課題やTODOに追われながら忙しい会社員ライフを送っている俺にとって、あの頃の日々を思い返すのはある種の癒しになると感じた。今の自分が置かれている状況を相対化できる、ということなのかなと思う。ああ、断続的にでもブログ書いてて良かった。これからも書こう。イェーイェイ。

風邪が治らない

2週間前に39度の熱が出て以来、風邪が一向に治らない。こんなに風邪が長引いた経験なんてないので、これはひょっとするとヤバいやつなんじゃないか?などとちょっと内心ビビってる。しかし、昨日医者に行っても薬を出されるだけで終わってしまった。医者はこちらから尋ねなければ診断「結果」しか教えてくれないから嫌だ。少なくとも医者との信頼関係がない状態では、過程をきっちり説明してくれないと納得できない。咳止めと抗生物質出すだされるだったら初めからドラッグストアに行くわ、という気持ちになる。まあとはいっても、仮に俺がヤバい病気の可能性があるとしても先に一般的な風邪に効く薬を数日分処方してみて、その結果を元に次の仮説を立てるというかんじなのだようと勝手に理解して納得はしている。もし体調が回復せず、5日後に病院に行ってもまた薬を出されるだけになりそうだったらきちんとこちらから質問しようと思う。