武器としての「資本論」 感想文

読書感想文と言う名の自分語りです。

いきます。

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マルクスはすごい!という情報だけが頭にあった。何がすごいのかはよくわからないが、とにかくすごいらしい。若いときにやっておくべきリストみたいなやつに入ってそうなタイプのやつ。俺はそういうのに弱いから、まあ遅くとも20代のうちには読んでおかなければなと思っていた。しかし資本論とかいう本はやたらと分厚くさらに難しいらしい。俺は基本的に勉強は苦手で難しい文章が読めない。だから前知識なくても読めるような入門書はないかな〜と思ってた。そんな拍子に、手頃そうなこの本をみつけた。そんなかんじで読み始めたら一晩で読み切ってしまった。なかなか面白かったよ。

俺は就活をしていたころ、Newspicsとかその辺の意識高い系言説に完全に染まっていた。ネオリベ的な価値観を素朴に受け入れていた。とにかく何事も効率的にやっていけばええや!!!と物事全般を考えていた。最大合理的に物事を考える、というのはとても単純でわかりやすく気持ちが良かった。スカッとジャパン的な気持ち良さがあった。つまりカスということだ。とはいっても当時の俺にはありがたい価値観だった。なによりも、俺を否定する父親を論破してくれるのが気持ち良かった。父親は、俺が中学生の時から日常的に東大京早慶に入って大企業にいけ。と繰り返し言ってきた。父親は銀行員だった。少なくとも当時は銀行で出世するには学歴が大事だったらしく、MARCH卒だった父親は自分よりも仕事ができない同僚が先に出世していくのが許せなかったらしい。俺が子供の頃、父親の記憶があんまりないぐらい仕事に打ち込んでいらっしゃったぐらいだから、余計に嫌だったんだろうね。しかしそんな父親の意向に反して俺は勉強ができなかった。一浪の末に駅弁大学に入った。でも幸い、大学の卒業生就職先一覧を見る限り、大企業に入ること自体は少し頑張れば十分可能といったかんじだった。親の敷いてくれたレールからギリギリ脱線はしていない、と感じていた。そんなことを考えるぐらい、俺は何も自分で物事を決めることができない人間だった。自分が何をしたいのか、何ができるのか、そういったことを研いで来なかった。それは今でもそうだ。大学時代に村上龍を読んで受けた衝撃を思い返す。

 

「自分が最も欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることが絶対できない」

 

ウギャーって思ったね。チキショー。マジ最悪…てめえブチ殺してやる!!!!!!!!!!!!!と思ったよ。まじで。

いやー焦った、焦った。このままではやばい。とにかく何かをどうにかしないといけない。あの細長い汚い部屋で一人、頭の中がグシャグシャになって、でもどこかスッキリした感覚があって、たしかに社会に輪郭が浮かび上がってきたはずなのに説明することができない、矛盾した、忘れられないけど思い出せないあの感覚。

あれを取り戻して、今度こそ完成させたい。この本を読んで、改めてそう思った。そう考えると良書だった。内田樹さん、ご紹介いただきましてありがとうございました。

もう少し具体的な話をしよう。

俺はこの本を読む前から、ネオリベ的な価値観を相対的に捉えられているつもりだった。が、やりきれていなかったのだと気付かされた。金では計れない人間の基礎的な価値、というものを認められない。どうしても認められない自分。そこを明確に認識できたのは大きかった。年収600万、それ以外に自分が同世代の周囲に対して優れていることを示す術を俺は持たない。だから大っ嫌いなクソダサい仕事に、会社にすがるしかない。そんな自分が嫌いだ。

ネオリベさんは唯一俺を肯定してくれた。俺を否定する父親を論破する力を与えてくれた。だから手放せないんだろうな。

 

マルクス「…力が…欲しいか?」

俺「欲しい」

 

-完-