なんで俺は彼女と結婚がしたいのだろうか

俺は自分の中で腑に落ちないことをやるのが極端に苦手だ。ある物事に対して腑に落ちる、という感覚がなければ本気で向き合おうという気にならないのは誰でも同じことだと思う。だが、多くの人たちは「とりあえずやっとくか」といったかんじで自分の気持ちを保留して目の前の物事に取り組むことができているのだと思う。俺は保留することができない。なぜそれを自分がやる必要があるのか?という疑問を解消せずに前に進むことがどうしようもなく苦手である。学校教育は子供たちに腑に落ちてもらおうという気はサラサラなく、軍隊のような強制で以てして勉強や部活に取り組ませる。そこにある種の合理性はあるとは思う。俺も当時は強いストレスを感じながらも、時に従ったり、反発したりをダラダラと繰り返しつつも不登校や留年をすることなく卒業することはできた。しかし、学生生活を通して何かに本気で熱中して、没頭して取り組めたという記憶は少ない。せいぜい恋愛ぐらいだろう。

俺にとって最高の人生とは何かに全力で没頭して熱中することだ、と思っている。しかし過去を振り返って何かを熱中して最後までやり遂げたという経験がない。高校生ぐらいからロックを中心とした音楽にはずっと夢中であるが、ほとんど聴くことが専門で演奏はどうにも没頭できない。運動経験はサッカーを9年とバレーボールを3年やってきていて、それぞれそれなりに激しい練習をしてきたが、どこか「やらされている」という気持ちがずっとあった。特定の誰かに強制されていたわけではないのだが、自分以外の何かに強制されているという実感がずっとあった。そんな中で、コミュニケーション、友人関係や恋愛関係については俺自身が主体性をもってして全力で取り組んできた唯一の物事であった。大学で生物学を専攻したのも元々は人間の中身に興味を持ったことがきっかけだった。しかし細胞生物学は俺の興味のスタートからは抽象度が高すぎてそれなりに楽しめたものの、のめりこむことができなかった。素直に社会学なり心理学を専攻したかったところだが親の教育がそれを許さなかった。

なんで俺は彼女と結婚がしたいのだろうか。

彼女のことが好きで、ずっと一緒にいたいと思えるから。その通りだ。

ボーダー的性質によって彼氏彼女の関係で失敗し続けてきていて、その解決方法としての結婚。お見合い結婚が持つ機能には恋愛はできないが結婚生活は遅れる人同士をマッチングする、というものがあると思う。それに似た感じだと思う。まあ、それもあると思う。

そして俺にとって彼女と結婚をすることはとても腑に落ちることなのである。つまり俺の人生のテーマに沿った生き方をようやくできそうってこと。