お前は誰なんだ?俺は誰の視線に怯えて生活してるんだ?

いつも何かに怯えながら仕事をしている自分がいる。俺はいったい何にビビってるんだ?と自分の胸に手を当ててしばらく考えても明瞭な答えを出てこない。うーんなんだろう、ぼんやりと思う。多分俺は「他人の視線」が怖い。しかし、他人って誰のことなんだ?俺を脅かしているというお前はいったいどこの誰なんだ。もしお前を殺したらこの問題は解決するのか?よくわからない。でもまあ、そこまで分かると一つ安心できるな。ほら、よく言うだろ?人間は、見たことない、知らない、理解できない、脳内の引き出しにカテゴライズできないものが突然目の前に現れたときに恐怖という感情を抱くんだって。だから少しずつその得体の知れない何かに輪郭を与えることに比例して恐怖も小さくなっていくはずなんだ。オフィスにいると自分に向かって絶えず降りかかってくる、というよりは自分の体内にジワジワと育っていく、胃の辺りをギュッとしてくるなんとも言えない気持ち悪さ、この実体が掴めない何かの正体を突き止めることで、俺は楽になれるはずなんだ。だから考えよう。

俺は仕事においてどんなときにストレスを感じているのだろう、その瞬間を振り返ろう。先週に先輩から投げられたタスクの目的や内容を実はまだ理解しておらず進捗がゼロなこと。明らかにお客様の方が俺よりも自社製品に詳しい状態で訪問に行かなければならないこと。事業所で一番役に立たない新人なのに誰よりも早く帰宅していること。なんかこうして羅列してみてもいまいちピンとこない。なぜだ。しっくりこない、こいつのせいだ!!!!というのが全然はっきり出てこない。

 

まあ、そりゃそうだよな。俺は、自己評価が高すぎるだけなんだろうな。他人の目線を気にしていると言っても、その「他人」は肉体を持たない、ただ俺の脳内で作り出した幻影に過ぎないわけだ。仮想の世界の人間だから輪郭を与えることなんて不可能。触れらないから殺せない。まあつまりこれは自分との戦いというわけだな。少年漫画とかでもよくあるやん。こういうの。

 

実際に自分ができることと、自分ができると思ってることのギャップが大きければ大きいほど、厳しい現実に晒された時、晒されそうな予感がしたときにしんどくなっちゃうというわけだ。自尊心だけが高い、自分に軸がなく価値判断を他人に委ねがちな若者、そういうものとは無縁になりたくて四苦八苦してきたつもりだったけどどうやらまだまだ向き合っていかなければならないようだ。快適に日々を過ごすためには自分の能力を適切に理解しなきゃいけない。俺はまだ自分への評価が現実に比べて高すぎる。そろそろキモい夢を見るのは諦めて、できることを淡々とやる。そういう風に切り替えないとな。仕事は淡々とやるものなんだ。淡々と。

 

なんか気持ちが楽になった。

今日も訪問頑張るぞ。